中高年サラリーマンは成仏すべし?



「知らないと損する年金の真実」「老後不安がなくなる定年男子の流儀」「定年前、しなくていい5つのこと」など、多数の老後本を書かれ、幾つものベストセラーを飛ばしている大江英樹氏が、2021年1月のDIAMOND ONLINEに「会社は教えてくれない、サラリーマンが「成仏」して前向きに生きる心得」といった記事を寄稿されています。

会社は教えてくれない、サラリーマンが「成仏」して前向きに生きる心得

この記事によると、

成仏とはいつまでも会社人生にこだわらないで新しい人生に向かう」

ことだそうですが、やや読者請けを狙った「成仏(じょうぶつ)」といったインパクトのある言葉を使うことの是非はさておき、「人生は会社生活が全てでその後は余生」というのは、過去の話で、

「気持ちを切り替えて次に向けた準備をすることが充実した次の人生につながる」

といった主張はその通りだと思います。

このブログのテーマも、中高年の社会人が生き生きとした人生の後半戦を送るために、何をどのように準備していくべきかを考えて行くことですので、大江氏の主張と重なるところは少なくありません。

子育てや住宅ローンや会社内での責任などが徐々に軽くなって行く中高年サラリーマンは、定年退職後は単純に雇用延長一択と考えるのではなく、転職、副業、フリーランス、起業、場合によっては完全引退など、自分らしく生きるための選択肢を広げていき、少しでも悔いのない人生を送ること。

せっかくこの世に生を受けたのですから、できれば死ぬ直前まで自分が主役の舞台を演じたいものですね。

大江氏はご自身が50歳で窓際の部署に異動になった体験を踏まえて、

 ・別に出世しなかったからといって、敗北者というわけではない。

・そもそも会社生活が人生の全てではない。

・ 人生の目的は会社で出世することではなく「幸せになること」だ。

と言われていますが、この考え方を素直に受け入れるか、もしくは全否定するかは各人の考え方次第として、古い諺を引用するなら、結局のところ「人間万事塞翁(さいおう)が馬」ということなのでしょう。

ご存知の方が多いと思いますが。以下に「塞翁が馬」のエピソードを記載してみます。


塞翁が馬(中国の思想書「淮南子」)

中国の塞の国で、ある老人が飼っていた馬が隣の国に逃げてしまい、周囲の人は皆これを慰めてくれたが、その老人は 「これがどうして幸福につながらならないと言えようか」と言った。

数ヶ月後、その馬が隣国から複数の駿馬を連れて帰ってきた。周りの人々は皆「良かった良かった」と祝福してくれたが、その老人は 「これがどうして禍(わざわ)いにつながらないと言えるだろうか」と言った。

時が経過し、その老人の息子は乗馬を好むようになったが、乗馬中に落馬して太ももの骨を折る大怪我を負ってしまった。

周りの人々はみんな「大変だったね」とお見舞いに来たが、その老人は、

「これがどうして幸福につながらないと言えようか」と言った。

それから1年が経った頃、隣国が攻めてきて戦争となり、働き盛りの男たちの多くが戦った。

その戦争で多数の人が亡くなったが、老人の息子は(足が悪いということで)戦争に行くこともなく、老人共々無事だった。

このように何が福で何が禍(わざわ)いかは時間が経ってみなければわからず、一見好事に見えることが起こっても浮かれてはいけないし、何か悪いことが起こっても全く落ち込む必要はないという意味に使われる。


この「人間万事塞翁が馬」はIPS細胞でノーベル賞を受賞された山中伸弥氏も大切にしている言葉だそうで、高校生向けの講演でもこの言葉について話されたそうです。

何が福で何が禍(わざわ)いかは長い目で見なければ分からない。

そう考えると仕事上のあれこれや昇進、昇格といったその会社の中以外ではまるで無関係なことに神経をすり減らすのは、ある意味では馬鹿げたこととも言えるでしょう。

仮に55歳くらいで役職定年になったとしても、今は昔と違ってその後に25年くらいの活動できる期間があります。

その期間を輝いた時間にするためにも、今から少しずつ準備していくことは非常に大切なことだろうと思います。


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